「そんな研究をやって、いったい何の役に立つの?」
自然史関係の学会に所属している人たちの多くは、一度はこういった問いを受けたことがあると思う。私自身、長年、蛾の配偶行動の研究をしていて、このような問いを何度も受けた。学生時代まだ肝が据わっていなかった頃には、うしろめたく思いつつも「蛾の多くは害虫だし、配偶行動の研究をすれば防除に役立つかも・・・」と答えた事もあった。しかし、今もし同じ事を問いかけられたら、胸を張ってこう答えるだろう、「一般に言う意味では何の役にも立ちません。でも私たちが自然界を理解する上では役に立ちます」と。自然界の理解や自然観の形成に役立つということは、「文化」への貢献という点で非常に重要である。私たちの行っている科学とは、まさに「文化としての科学」なのである。
では、自分自身がなぜその研究をしているのかと考えた時、もちろん最終的な目的は自然界の理解であるが、直接的な動機としては、その研究をしていることが楽しいからである。ウスバツバメガという蛾のオスが何匹もメスに群がって求愛をしている。でも交尾できるのは1匹のオスだけである。いったいどんなオスが交尾に成功しているのだろう? メスはどうやって自分自身の子孫の数や質を高めているのだろう? そういった疑問が次々と浮かぶ。実験や観察を行って、少しずつこれらの問いに対する答えを見つけていく。するとまた新たな疑問がわいてくる・・・。私たちが行う研究とはこの繰り返しである。もちろんうまくいかなくて苦しむことも多々あるが、基本的には研究の過程とそこから導き出される結論の面白さが研究の動機となっている。ならば、相手に何の研究をしているのかと尋ねられたとき、その研究の面白さを十分に伝えることが大切なのではないだろうか。面白い小説を読んでわくわくした読者は、そのことが自分にどんな役に立ったかは問わないだろう。それと同様に、私たちが研究の面白さ、わくわくする部分、結論の面白さを十分に伝えられれば、「それが何の役に立つの?」という問いを安易に引き出す結果にはならないのではないか、と思うのである。
ここで大切なことは、私たち研究者は、多くの人が支払う税金や授業料・寄付金その他によって研究を続けるための資金を得ているということである。いわば私たちに「出資」しているこれらの人々が、自分たちの出したお金が自分たちにどのように還元されているかを気にするのは当然である。それが医療や産業の「役」に立つことで還元されているとわかれば納得しやすいだろう。私たちの場合は、私たちの研究の話を聞いた「出資者」の人々が、「そんなに面白いことがわかるのなら、われわれのお金を使って研究してくれても構わない」と思ってくれることが大切であると思う。そのためにも、私たちは自分たちの研究成果をわかりやすく公開するという方法で社会へ還元していくべきだと思っている。もちろん、その方法は人それぞれだろう。一般向けの本や記事を書くことばかりでなく、大学での学生教育や、博物館での社会教育も重要な社会還元の場である。
最後に、私の大好きな話を紹介しておきたい。レオ=レオニの絵本「フレデリック」の話である。ネズミのフレデリックは他のネズミが冬に備えてせっせと働いているのに、日溜まりで何もせずに光や色やことばを集めている。冬になって暗い穴の中でネズミたちの気分が沈んでいる時、フレデリックが夏の間に心に集めたさまざまな光や色の話をする。それを聞いて、他のネズミたちも幸せになるのである。文化としての科学もかくありたいものだし、私自身も誇りを持って「フレデリック」であり続けたいと思っている。
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