標題は、1995年に侵入が確認されたセアカゴケグモの騒動以後、博物館でしばしば受ける質問のひとつである。
日本の在来種には猛毒のものはいなかったのであるが、あの騒動からクモ毒への関心が一気に高まった
(小野,2002)。
研究者の仲間内ではよく、どのクモが一番痛いとか、腫れるとか、いろいろな話がでるのであるが、この痛みの
感覚というものが意外に厄介で、個人差が甚だしい。有毒動物の研究者の中には、あらかじめ指標になる動物にわ
ざと咬まれたり刺されたりしておいて、ほかの動物の時の痛みをその指標との比較で表すというようなことをやって
いる人もいるらしい。かなりマゾヒスティックだが、たとえば、ミツバチが1、アシナガバチが3、スズメバチが5、
というようにしておいて、ある検体のハチの痛みは1.5だとか、2だとかいうようなことになる。
ゴケグモに咬まれると、ものすごい激痛が走る、という説明と、咬まれた時はチクっとするだけで、だんだん痛み
が広がる、という説明があって、「痛み」に関してのコンセンサスを欠いた。在来種で刺咬例がいちばん多い
カバキコマチグモのように、牙が長く、痛みを伴う毒成分を多くもっているクモと、牙の長さが0.5mmほどしかない
ゴケグモでは、痛み方が違うはずである(大利・池田、1996)。では、実験してみよう、などと考える人が現れると
たいへんなので、クモでは、いかなる種類でも、咬まれないようにすべきであることを明言しておく。
先日某テレビで、ある米国人医師が自らクロゴケグモ刺咬症の人体実験をしたという記録の再現映像をやっていた。
その番組のソースは実は古く、第二次大戦以前のはなしであるが、今日でもまだ意義があるということだろう。
内容はこうである。<医師であるW氏は動物実験の際に、ある偶然がきっかけで故意に自分の左手の小指をゴケグモ
に咬ませる。「痛み」は患部から上腕に広がり、さらに首、左胸に「ずきずきする痛み」が生じ、だるさ、眠気、
ぼうっとした感じ、頭痛などが次々に襲ってくる。脈は弱くなり呼吸は深くなる。これらのシリアスな症状はすべて
1時間の間に現れ、さらに10分後には、痛みは腹部全体にまで達し、下肢が痙攣する。ここに至って、病院に搬送
することになったが、搬送中も、腹部の痛みは耐え難い苦痛になり背中にも広がった。さらに、胸には締め付けられ
るような痛みが起こる。喋ることが困難になり、体全体が痙攣して息苦しい。腹部は板のように硬くなり、灰色を
呈する。咬まれた指は腫れ上がりチアノーゼを起こす。唇は緊張して締まり、目眩がし、頭の中の血管が激しく
脈打ち、発汗が甚だしい。病院で治療を受けたのは咬まれてから2時間後であるが(詳しい治療内容は説明されて
いないが、ヘビなどに咬まれた時の処置と同様であったと推測される)、効果があったのは熱い風呂に入れること
だったという。W氏は快方に向かったが、手の震えは治まらず、顔は浮腫んで厚い舌苔を生じ息は悪臭を放ち、
腹部の腫れも引かない。結局すべての症状が消えるまでに丸8日かかった。> これは1例に過ぎないが、医師自ら
の記録であるので、症状の描写は真に迫っている。現在では血清が開発されているので熱い風呂に入る必要などない
だろう。
引用文献
大利昌久・池田博明(1996).毒グモとその毒(2)代表的なクモ毒とその作用機構.現代化学,
1996年5月号:30-36.
小野展嗣(2002).クモ学.摩訶不思議な八本足の世界.224頁.東海大学出版会,東京.
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