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安置室の対話

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キリンの頸椎、そして私/アップ
  安置室の対話

 ひとつの生が終わるとき、またナチュラルヒストリーの幕が上がる。
 二度と再び立ち上がることのない生命が眼前に横たわる。つい昨日まで草を食んでいた身体が、もはや動なき物自体としてのみ、存在を主張する。遺体安置室の床面は、生きとし生けるものの終末のひとときを演出する、飾り気のない額縁なのだ。
 昼下がりに目の前に現われたのは成体のキリンだ。クレーンで懸垂され、剥皮を終えた遺体が、好奇心のエネルギーのもとに曝される。メスがいくつかの腱を断ち、その切り口の奥へ向けて、いつものようにピンセットが筋質を解していく。指の間に軽く握られたその先端が、ステンレスの鈍い輝きを私の網膜に突き返す。薄いビニールの手袋を通じて指先が探り当てるのは、深層の筋肉の広がりだ。つまんだ指先で張力を加えた筋束は、その走行を明らかにするように、弾性を効かせながら起始と終止を目の前に曝してくる。
 いま指先が求めているのは、頸椎の横突起に広がる骨格筋の扁平な筋束の走りだ。遺体への好奇心が、指先の微細な感覚を次第に標的に向けて研ぎ澄ませていく。頸椎の伸長がキリンの歩んだ歴史の表象ならば、筋束の終止は異様な広がりでもって、見る者にその歴史を語り継ぐはずだ。遺体は語りかける私を前にして、いつでも必ず明晰な真理を安置室の壁に反響させる。
 アフリカのこの獣に誰もが感じる好奇心の行き先は、長い頸の成り立ちだろう。ナチュラルヒストリーはいま指先の緻密な感覚のみでその歴史を認識しようとしている。この筋肉の広がりが横突起の結節の腹面を覆っていれば、それが長い頸の理解を書きかえる。かつて誰も知り得なかった真実を追って、目の届かない頸の深部を、私の人差し指の先だけが見出そうとしている。
「あっ」
 鈍い筋質の感触が、いま答えをひとつ探り当てた。

遠藤秀紀(国立科学博物館・動物研究部)日本哺乳類学会より投稿