牧野標本館所蔵タイプ標本画像データベース

加藤英寿(東京都立大学牧野標本館)/ 木原 章(法政大学)



1. 植物標本と標本館
 種子植物とシダ植物の標本は、一般に「さく葉標本(押し葉標本)」の形式がとられている。さく葉標本は、採集した植 物を新聞紙などに挟んでプレスしたまま乾燥させたものであり、その植物が生きていたときの立体的な形状や色は失われて いる。そのため研究者かよほど植物に関心のある人でない限り、さく葉標本はどう見ても単なる枯れ草であり、美しい写真 や図の方に関心が集まってしまう。しかし標本は何と言っても実物であり、写真や図からは決して得ることのできない情報 を備えている。

 その標本が自然科学の研究資料となり得るためには、採集地、採集年月日、採集者などの情報が記入されたラベルが存在 することが不可欠である。このラベルとさく葉標本を台紙にマウントする(貼り付ける)ことにより、標本をファイルのよ うに取り扱うことが可能となり、保管スペースを最低限に節約することができる。

 これらのさく葉標本を収蔵するのが標本館(または標本庫;herbarium)である。世界中の標本館を紹介したIndex Herbariorum(1990)によれば、147ヶ国に2639の標本館があり、各標本館が公式に発表している標本数を合計しただけで2億7 千万点以上にもなると報告されている。日本国内だけでも約40の標本館が知られ、計700万点を越える標本が収蔵されている のである。しかし標本館は通常は一般に公開されていないため、これらの標本が研究者以外の人々の目に触れる機会はほと んど無い。


2. 植物標本の意義と重要性
 植物標本の収集・作成は主に分類学的研究や地域研究に携わる研究者や採集家によって行われているが、標本収集の目的 や意義は下記のように様々である。

(1)命名の証拠標本として

 学名を発表する際には、標本の観察に基づく植物の形態的特徴を記述した記載文を書き、記載に用いた標本の中から、そ の基準となるタイプ標本を指定することが国際植物命名規約により義務づけられている。つまり、タイプ標本は種以下の分 類群の学名命名の基準となった標本であり、このタイプ標本と記載文をもとに同定が行われることになる。分類群の命名や 形態的特徴に関する疑問が生じたとき、また他の分類群との比較研究の際にタイプ標本が参照されることになり、最も重要 な標本として標本館に永久保存することになっている。

(2)研究の証拠資料として

生物の名前は、実はあまり当てにならないものである。これまでに数多くの図鑑類が出版されてきたが、それらの間で和 名・学名や分類基準が異なることがあり、分類が困難な生物群の場合は同定ミスの危険もつきまとう。つまり、論文等で研 究対象とした生物の名称を記述するだけでは、証拠として不十分である。例えば、これまでに各地で出版されてきた地方植 物目録などは膨大な数になるが、既存の標本を参照していなかったり、証拠標本を残していないものが多く、このような植 物目録は学術情報として有効に利用されることがほとんどない。証拠標本が標本館に残されていれば、後にその研究内容に 疑問が生じた場合でも、引用された標本を参照することで検証可能となる。最近は研究成果を論文などで発表する際、材料 として用いた植物の証拠標本を公共の標本館に保存しておくことは常識となりつつあり、論文受理の条件としている学術雑 誌も多くなっている。

(3)生物多様性・生物地理・生態学的研究のための資料として

 ある植物を研究する際に、フィールドで直接観察・調査する際の補助的な情報を、標本から得ることが可能である。標本 館には様々な地域から採集された多数の標本が所蔵されていることから、これらの標本を同時に比較し、外部形態の変異な どを詳細に観察・計測したり、分布域を調べることができる。標本に花や果実が付いていれば、開花・結実期などの生態的 特性に関する情報も得られるだろう。また、条件さえ良ければ、標本からDNAを抽出して解析することもできる。

(4)歴史的証拠・資料として

 人為的影響により自然環境は大きく変貌し、各地で数多くの植物が消滅しつつある。そして人間が植栽した植物や外来種 で植生が置き換えられてしまった現在、かってどのような植物があったのか、どのような自然が存在していたのかを調べる ことは容易ではない。しかし日本の標本館には19世紀から20世紀初頭にかけて採集された標本も数多く存在し、これらの標 本を参照することにより当時の植物相や自然環境を推定することができる。逆に外来種が日本に移入してきた時期も推定す ることができる。

 また、18~20世紀初頭に作成された古い標本には、日本の近代植物学の黎明期における海外の研究者との文化交流の証が 様々な形で標本に付随して残されていることがあり、それを調べることで日本における植物学の歴史的推移を科学史的視点 から探る試みもなされている。

(5)同定のための参考資料として

 植物の同定を行う際には、一般には図鑑などの文献資料を用いるが、標本と比較することでより正確に同定することがで きる。特に文献情報が不十分な国外の植物を同定するときに、非常に役立つものである。

 以上のように標本館に所蔵されている標本は、生物学にとって最も重要かつ基本的な情報源であり、今日も世界中の研究 者によって利用され続けている。しかし、現実には標本の持つ情報が有効に利用されているとは言い難い。これは、植物標 本が世界中の標本館に分散していて参照するのが容易ではなく、どこにどのような標本があるのかさえ知ることが難しいこ となど、標本を利用する上での様々な制約が原因と考えられる。そして、標本数の増加に伴い、より適切な標本整理・管理 対策が標本館に求められている。このような事情から、近年、世界各地の標本館において標本情報をデータベース化し、イ ンターネットを介して情報発信する動きが急速に広がっている。


3. 東京都立大学理学部牧野標本館について
 牧野標本館は、日本の植物分類学の基礎を築いた故牧野富太郎博士(1862~1957)の没後に遺族から寄贈された約40万枚 の標本(牧野標本)をもとに、1958年に設立された。寄贈された時点での標本は、データが記入された新聞紙に挟まれただ けの未整理状態で保管されていたため、同定してラベルを新たに作成し、台紙にマウントするという忍耐を要する作業が当 館で長年にわたって行われてきた。牧野標本は日本のほぼ全域から採集された標本であり、同博士が新種として発表した植 物のタイプ標本の一部や、今では見ることのできない明治時代の植物標本が数多く含まれているという点で、極めて貴重で ある。現在ではほとんどの標本が整理され、重複標本を除いた16万点が標本館に収蔵されている。重複標本は国内外の標本 館との標本交換に利用され、現在までに約10万点の標本を得るのに役立ってきた。

 この他、共立薬科大学から寄贈された故桜井久一博士のコケ標本2万点、故東道太郎博士寄贈の藻類標本約1万点、ロシア のコマロフ研究所から交換標本として送られた、P. F. シーボルト(1796-1866)が日本から持ち帰った標本のうちの約2500点 なども所蔵されている。また、牧野標本館を兼務する植物系統分類学研究室のスタッフや学生及びその関係者による国内外 での現地調査と標本収集も活発に行われてきた。その結果、2000年3月時点で、維管束植物標本約30万点、コケ類標本約2万 点、藻類標本2万1千点を所蔵している。維管束植物の標本点数では、日本国内の標本館で4番目のレベルにあり、国際略号 MAKとして認知された主要な標本館のひとつである。


4. 牧野標本館におけるデータベース構築

 牧野標本館では、総合研究大学院大学画像データベースプロジェクトの協力を受けて、当館に所蔵されている植物標本を データベース化しネットワークで公開する活動を行ってきた。1999年6月から公開している「牧野標本館所蔵タイプ標本デー タベース」(http://wwwmakino.shizen.metro-u.ac.jp/database.htm)は、当館所蔵のタイプ標本約740点の文字情報(学名、和 名、科名、採集地、採集年月日、採集者、原記載など)と標本画像(標本全体とラベル部分の拡大画像)をデータベース化 したものである。さらに、牧野標本館に所蔵されているすべての標本をデータベース化する作業も進行中である。

 以下に牧野標本館所蔵タイプ標本データベースについて、構築の手順と利用方法などについて説明する。

(1)文字情報データベースファイル作成

 ラベルに書き込まれた情報は、標本の学術的価値を決定するものである。始めにも述べたように、ラベル情報で最も重要 なのは採集地、採集年月日、採集者であり、標本データベースとしては最低限これらの情報が含まれていなければならな い。しかもタイプ標本の場合は、それに付随した情報が加わってくるため、情報量が多くなる。しかしデータ入力は手入力 のため、入力項目や情報量は少ない方が早く作業を進めることができる。以上のことを考慮した上で、以下の項目をファイ ルメーカーPro(FileMaker社)を用いて入力した。

1.標本番号:牧野標本館の連続番号。同時に同じ個体から採集された重複標本には同一番号が付けられている。標本は あくまでも個体性が重視されている。
2.学名:タイプに付けられた学名。属名、種以下(種、亜種、変種、品種)の形容語、命名者名を入力。
3.和名:和名が付けられているものに限られる。和名がわからないものや海外の種は入力されていない。
4.科学名および科和名:現在最も一般に採用されている科名を入力。
5.現行学名および現行和名:当該タイプ標本の学名が現在では採用されなくなっている場合、一般に採用されている学 名とその和名を入力。
6.採集地名:古い標本ではラベルに書かれている地名が現在の地名と異なることが多い。そこでラベルに書かれている 地名と現行の地名をそれぞれ日本語とアルファベット(英語)表記で入力した。
7.採集者:日本人の場合は日本語とアルファベット表記の両方を入力。
8.採集年月日:西暦で入力。
9.採集者番号:採集者が付けた標本番号がラベルに記入されていたものについて入力。
10.重複標本の所在:他のハーバリウムに重複標本が存在することがわかっている場合には、その国際記号を入力。
11.タイプの種類:Holotype、Isotype、Syntype、Lectotype、Paratypeなど。
12.原記載(文献情報):記載文献とその発行年を入力。

 以上の項目のうち、もっとも入力が大変だったのは採集地名であり、古い地名で記入されている場合は、現行地名や地名 の読みを調べるのにかなりの時間を要した。また、タイプとされている標本の中には、正式に発表されていないものが含ま れている可能性がある。しかしすべての標本について記載文献の内容をチェックすることは非常に困難であることから、タ イプ標本としてのstatusが曖昧なものもデータベースに加えて公開し、利用者からの情報提供を求めることにした。つまり情 報発信する側と利用する側の相互協力によって、より完成度の高いデータベース構築を目指している。

(2)標本画像撮影

 2灯フラットヘッドランプを光源として、民生用デジタルカメラ(ニコン製COOLPIX950)で標本全体の画像およびラベル 部分の拡大画像をそれぞれフルサイズ(1,200 x 1,600pixel)で撮影した。ただし、このライティング方法だと見苦しい影が出 てしまったので、光源を4灯にするのが望ましい。

 民生用デジタルカメラも性能や画質はかなり向上してきたが、スライド写真からフォトCD(コダック)に取り込んだ画像 と比較してみると、現時点では後者の方が画質は良いと思われる。画像枚数が多い場合はフォトCDのコストがかかりすぎる が、最近は一眼レフタイプの業務用デジタルカメラが普及してきたので、そちらにも期待したい。枯れ草とはいえ、良い標 本画像ほど多くの情報を引き出すことができるはずである。

(3)標本画像処理・保存

 コンピュータに画像を取り込み、Photoshop(Adobe Systems社)で画像の切り取りや色調補正を行い、画像検索用のサムネ イル画像(117 x 164pixel)とモニタ・プリント出力用の標準画像(1000 x 1400pixel)の2種類の画像サイズに縮小してJPEG形 式で保存した。

(4)画像データファイル作成

 標本番号、写真番号を入力し、標本画像(サムネイル画像、標準画像)を画像データファイルに取り込んだ。データベー スファイルと画像データファイルの間でリレーションを定義することにより、データベースファイルに標本画像を表示する ことが可能となる。

(5)Webサイトの作成

 ホームページPro(FileMaker社)による、データベースファイルと連動したWebサイトを作成(詳細はソフトウエアのマニ ュアルを参照)。また、海外からの利用者のために、英語版のページも作成した。検索項目は、標本番号、科学名、属名、 種名(種形容語)、科和名、和名、採集地(和・英)、採集者(和・英)を設定し、科和名の50音順または科学名のアルフ ァベット順で標本リストを一覧表示する機能も加えた。

(6)サーバを立ち上げて、Web版データベースをインターネットで公開


5. 植物標本データベースの意義と問題点

 標本情報のデータベース化とインターネット公開の意義は、次のようなことが考えられる。

(1)研究の効率化

 前述のように、植物標本は世界中の標本館に分散していて参照するのが容易ではなく、目的の標本の所在を知ることさえ 困難である。しかも膨大な数の標本について、採集地などの研究に必要な情報を記録するには、かなりの根気と時間を必要 とする。植物標本の持つ情報をデータベース化して公開することで、標本を探し回る時間・労力・旅費などのコストを節約 し、研究を効率的に進めることができるようになることが期待される。

(2)利用形態の多様化・利用者の増加(教育・普及効果)

 標本館の利用は多くの場合、専門の研究者に制限されているが、ネット公開することで様々な方面からの利用が可能にな る。特に小中高校などの教育現場でコンピュータを使った学習が積極的に導入されている現在、標本画像を含むデータベー スは生物に対する人々の興味を引きつける格好の教材となる。普段は一般に公開されていない学術標本も、公的資金(税 金)を使って生産された以上、ネットワーク等を介して可能な限り一般公開することは納税者に対する義務であるとも言え る。ただし、悪質な山野草業者やマニアなどによる盗掘の危険がある種については、採集地等の情報を非公開とするなどの 対策が必要であろう。

(3)標本の維持管理

 標本館の業務は、標本の収集・整理・維持管理だけでなく、国内外の標本館との交換・貸出等の対外サービスなど多岐に わたり、職員の負担が重くのしかかっている。所蔵標本がデータベース化されていれば、図書館における蔵書管理のよう に、より適切かつ効率的な標本管理が可能となるだろう。

 もう一つ問題なのは、ラベルに使われている用紙とインクの耐久性である。ラベル作成には様々なプリンターが用いられ ているが、使用されているインクや用紙の耐久性が低い場合、時間が経過するにつれて、ラベルが読みとれなくなる恐れが あると言われている。しかし、ラベル情報をデジタル化し、データのバックアップやソフトのバージョンアップに対処する ことで、これを永久に保存することができる。

 さらに標本画像も併せてインターネットで公開することで、標本貸出の回数が減れば、標本輸送時に生じる破損や紛失の 危険を減らし、標本の「寿命」を延ばすことにもつながると考えられる。

 とはいえ、我が国の標本館におけるデータベース化と情報公開に向けた動きは決して進んでいるとは言えない。それは研 究者にとってみれば、日頃から研究やその他の業務に忙殺されているのに、このような業績になるかどうかもわからないよ うな作業に手を出す余裕がないことや、技術的な障壁などが原因と思われる。しかも情報発信に当たっては、サーバを安定 した状態で継続的に維持しなければならないが、忙しい研究者にそのようなことができるはずがない。情報公開が進んでい る欧米の標本館では、データベース専任のスタッフを新たに採用するなど、豊富な技術職員を抱えているのである。日本の 大部分の標本館が微々たる予算と少数人員で運営されている現状では、標本情報のデータベース化はあまりに非現実的と思 わざるを得ない。標本情報のデータベース化が積極的に進められるようになるためには、それぞれの標本館が抱えている基 本的な人員・予算不足などの問題が解決されることが前提であろう。

 最後に「牧野標本館所蔵タイプ標本データベース」の構築にあたり、当館の大学院生(田中伸幸、大井哲雄、宮崎慶子、 福田陽子の各氏)にデータ入力作業等の協力をいただいた。また、山本正江氏をはじめとする当館職員の方々の努力によ り、標本館設立当初から徹底した標本の整理・管理がなされてきたからこそ、データベース構築が実現できたということも 付記しておく。


6. 引用文献

 1.Holmgren, P. K., Holmgren, N. H. and Barnett, L. C. (1990) Index Herbariorum, Part I: The Herbaria of the World (eighth
edition). New York Botanical Garden, USA.
2.大橋広好 (1988) 国際植物命名規約. 津村研究所.


7. Web版データベースの検索方法


8. CD-ROM版データベースの検索方法