魚類画像データベース

鵜松浦啓一(国立科学博物館)
瀬能 宏(神奈川県立生命の星・地球博物館)
篠原現人(国立科学博物館)


要  約
 日本の海の中を北海道の北端から琉球列島の南端まで見ていくと、実に様々な魚類がいることに 気づくだろう。これまでに約3600 種の魚類が日本の海から記録されているが、実際には約4000種 が生息していると言われている。ごく最近になっても日本周辺から依然として毎年数種の新種が報告 され、日本初記録の魚も15種を数える。つまり、日本の海にはまだまだ未知の魚がいるのである。

 魚類研究の方法として1960年代からスキューバダイビングが魚類学者に使われるようになり、 1970年代には多くの新種がスキューバダイビングによって発見された。そして、1980年代になると 一般の人たちがスキューバを使うようになり、今では多くの人たちがフィッシュウオッチングを楽し んでいる。また、水中カメラは性能が高まると同時に、素人でも使いやすい操作性を備えるようにな った。こうして魚類研究者ではなくても魚類の新種や初記録種を観察したり撮影できる機会が多くな ったのである。日本のどこかで、そして世界のどこかで毎日誰かがスキューバダイビングを楽しんで いるのは間違いがない。ということは撮影されている魚類の数も膨大なものになっているはずである。 水中写真は撮影者がどのような意図で写したかにかかわらず、客観的な記録媒体である。したがって、 これを集めてデータベースとすれば、魚類学研究にも大いに役に立ち、またフィッシュウオッチング を楽しむひとたちに貴重な情報を提供できることは間違いない。このような発想で神奈川県立生命の 星・地球博物館(以下、神奈川県博と略す)において魚類画像データベースの構築作業が始まった。 その後、国立科学博物館(以下、科博と略す)との共同作業が始まり、集積された画像件数は 約30,000件になった。


1.魚類画像データベースの特徴
 我々は魚類の画像を標本と同様に資料と位置づけ、それを登録するシステムを作った。個人が撮影 する写真は通常は個人の記録として使用される。記念写真などがよい例である。魚の画像もふつうは 同様の扱いをされている。しかし、個人で撮影した魚の写真を博物館に登録し、それを資料として保 管し、整理するならば多様な使い方ができる。この画像データベースの特徴は、魚類の画像をあくま で標本と同様に位置づけていることである。したがって、二次資料つまり出版物などの情報を集積し たデータベースとは根本的に異なる。また、集められた画像の大半が水中で撮影された生態写真であり、 魚が生きているときの様子を記録したものである。したがって、魚類の分類学や分布の研究ばかりで なく、生態学や行動学などの資料としても十分に役立つ。

 魚類画像データベースは、1)短期間に大量のデータを集められる、2)標本を採集することなし に研究ができる、3)ある地域の継続的なモニターが可能である、4)画像収集を通じた魚類学の普 及、あるいは博物館を中心にした市民や研究者のネットワークの構築といった研究以外の効果も期待 できるなどの特徴を持っている。


2.画像データの入手方法
 画像を収集するためにはまず「魚類画像データベース」とはどんな仕組みなのか、収集した画像で 何ができるのかを広く一般に知ってもらう必要がある。その目的のために、1)ボランティア組織の 活用、2)ダイビング関係の雑誌の活用、3)リーフレットの作成と配布、4)ホームページの活用、 5)成果物の配布、6)レファレンスの活用を継続して行っている。

 1)については神奈川県博の魚類ボランティアに27名(1998年度)が登録しており、その大部分 は水中撮影を行っているダイバー(ダイビングを生業としている者も若干含む)である。彼らはかな りの頻度で海外を含めて各地へダイビングに出向くが、その際に撮影した写真を登録してもらうだけ でなく、現地のダイビングショップにリーフレットの配布を依頼するか、居合わせた他のダイバーに 口コミで宣伝を行ってもらっている。2)については雑誌社からの魚に関する問い合わせがあった際に、 神奈川県博のシステムを紹介してもらうか、写真の同定依頼であれば撮影者にデータベースへの登録 を雑誌社を通じて要請している。3)については上述のように1)と密接な関係がある。4)につい ては科博や神奈川県博のHPだけでなく、ダイバーが個人的に開設しているHP上で宣伝をしてもらって いる。5)についてはこれまでに収集した画像を用いて3地域(八丈島、大瀬崎、熱海)の魚類リスト を公表し、その別刷りを大量に刷り増しして希望者に配布している。6)については魚類に関する問い 合わせの際に同封(電子メールの場合は添付)されている画像を登録してもらうようにお願いしている。

 画像はポジフィルムやプリントを郵送してもらうことが多いが、最近では電子メールの添付ファイル として送られてくる例が増えている。ポジフィルムの場合には登録終了後に書留郵便で返却している (プリントの場合は希望があれば)。


3.画像データのコピーライト

 画像はデジタルデータとして登録されるが、その原画像のあらゆる権利は撮影者が保有する。博物館は データベース本体の権利と個々のデータを博物館活動の目的のために使用する権利を有する。また、 この目的のために提供者には博物館の使用条件を明記した同意書にサインをしてもらっている。ただし、 事務処理の煩雑さや、運用開始から6年を経過した現在までに著作権をめぐるトラブルは一度も起こって おらず、同意書の提出は形骸化しつつある。ただし、これまで個々のデータを印刷媒体に使用した例は ほとんどなく、使用する場合には画像提供者に原画像の提供を求めてきた経緯がある。


4.ダイバーの反響

 具体的に反響の大きさをどのような物差しで量るかが問題だが、画像の登録実績(4800件/年平均) のほか、ダイビング関係の雑誌、朝日新聞の科学欄やNHKのニュース10での特集に紹介された例からみ ても社会的に認知されつつあるように思える。


5.画像を提供する人たちはどんな人たちか?

 ダイバーが最も多いが、アクアリストや釣り人もごくわずかであるが含まれている。研究者自身も水中 写真や鮮時の標本写真を撮影していることが多いが、本データベースへの画像の提供はごく一部の研究者 からのものにとどまっている。ダイバーの中にはプロの水中写真家も若干含まれている。なお、当館でも 魚類の水中撮影や鮮時の標本写真を撮影しており、もちろんそれらも随時入力を進めている。


6.どのような研究に使えるか

 分類学的研究:かつて未知の種の発見は研究者の手によって行われてきたが、最近ではダイバーがまず 写真で記録することが多くなった。質の高い魚類図鑑が普及したことで、図鑑に掲載されていない魚を誰 もが容易に認識できるようになったからである。したがって、魚類画像データベースの活動が実際に新種の 発見に結びつくのである。また、魚類画像データベースに登録された数多くの画像を見ることによって、 個体変異や地域変異に関する情報を得ることができる。

 生態学的研究:水中写真の撮影日や撮影水深を利用すれば、魚の出現時期や生息水深を知ることができる。 たとえば、伊豆半島沿岸で撮影されたカミソリウオ科の魚を検索すると、撮影された月は9月~12月、撮影 水深は10~20mの範囲に集中していることがわかる。また、いろいろな魚の水中での定位姿勢や共生の事実 などの記録にも役立つ。

 生物地理学的研究:最も得意とするのがこの分野である。地域ごとに撮影された魚種をリストアップすれば 魚類相を明らかにすることができる。逆に、種ごとの撮影地をリストアップすれば分布範囲を知ることができる。 画像収集を開始してからわずか5年間で、八丈島(約480種)、大瀬崎(約600種)、熱海(約280種)の 魚類目録を公表することができた。また、分布記録がほとんどない希少魚種、日本近海から記録のなかった 魚の情報も続々と集まっている。


7.今後の展開

 公開した画像データベースは日本語版であるが、近い将来英語版を公開したいと考えている。 日本に分布する魚類はインド洋と西部太平洋に広く分布しているものが多い。画像データベース の英語版は国外の研究者やダイバー、そして多くの人たちの興味をひくと考えている。また、画像 データベースの検索方法を改善し、一般の人たちに使いやすい検索法を取り入れようと考えている。 扱っている魚種が数千にのぼるので、検索方法を改善するのは簡単ではないが、魚の和名の検索方法 や生息場所による検索方法の開発などが考えられる。さらに、魚類の画像だけではなく、魚類の生息 場所の画像データベース構築も視野に入れている。


8.これまでの活用例

 これまでに画像データベースを用いて地域別の魚類相を明らかにしてきた。ダイビングする人たちの数
が多い地域を選べば、今後さらに多くの魚類リストを作成できるであろう。

 古瀬浩史・瀬能 宏・加藤昌一・菊池 健. 1996. 魚類写真資料データベース(KPM-NR)に登録された水中写真に基づく八丈島産魚類目録. 神奈川自然誌資料, (17): 49-62.

 瀬能 宏・御宿昭彦・反田健児・野村智之・松沢陽士. 1997. 魚類写真資料データベース(KPM-NR)に登録された水中写真に基づく伊豆半島大瀬崎産魚類目録. 神奈川自然誌資料, (17): 49-62.

 瀬能 宏・牧内 元・武谷 洋. 1998. 魚類写真資料データベース(KPM-NR)に登録された水中写真に基づく熱海産魚類目録. 神奈川自然誌資料, (17):49-62.

 その他、日本新産の魚類を標本に基づいて報告する際に、分布の補完資料として利用したり、ある特定
の魚類の生息状況を撮影水深や撮影日のデータを使って分析したりしている。一般向けには科博や神奈川
県博物のHP上で魚類の画像を公開している。